CONCEPT
MISSION
私たちは、つながりを大切にした
最適な歯科治療を通じて、
患者様の豊かで幸せな人生を創造し、
全スタッフの物心両面の幸福を追求することで、
縁ある全ての人々から選ばれる
上質な歯科医院となることを目的とします。
医療とは、治療・医院運営・経営の3つが密接にリンクしています。
例えば、どれだけ治療技術が高かったとしても、経営状況が悪くスタッフの幸せが守れなければ、接遇の質も落ちてしまい、治療の質にも影響します。
治療・医院運営・経営の3つの輪をトータルに高め続けた先に、上質な医療を提供することができます。
最高な治療を行う=100点満点(誰がみても完璧な口腔内)を目指すということも大切です。しかし、患者様は100点を望んでいるのでしょうか。患者様自身が本当は何を望んでいるのかが不明確な場合もあります。
私たちはカウンセリングを重視し、患者様の潜在的欲求を引き出していきながら、本当に望んでいることを明確にしていくサポートをします。生活習慣、職業、家族構成、趣味、経済状況等から最適なプランニングを行い、問題を解決していきます。
私たちは、患者様・スタッフ(=企業)・社会の三方全てが利益を得られる、トリプルウィン経営を目指しています。これは、近江商人のいう「売り手よし、買い手よし、世間よし」の三方良しの考え方に基づいています。
私たちは、これら三方のうち、一方でも不利益を被るような事業や計画は一切推進しません。
VISION
PHILOSOPHY
フィロソフィーとは、「灘セントラル歯科のスタッフとして理想とする7つの行動規範」のことです。
スタッフ一人ひとりが7つのフィロソフィーを体現することを通じて、
灘セントラル歯科らしい文化が作られます。この文化そのものが、患者様・社会に伝播し、
目的・目標が達成される土壌が形成されていきます。
私たちは昨日よりは今日、今日よりは明日と
成長できるよう努力します。
現状維持ではなく、常にもっと良くなれるように、自分と向き合って考え続けます。まだ見ぬ新しい自分と出会えるように積極的に行動し、新しいことにも一歩踏み出すことが、理想とする行動規範です。
私たちはやるべきことをやるべきときに、
自己の感情を乗り越えて責任を持って
仕事をやりきります。
自らの思考とそれに基づき選択された行動は他に影響を与えます。今の自分は今までの選択の結果であることを深く認識し、未来の自分に対して責任ある行動をとります。
責任回避の態度をとることなく、常に自身の職務領域に対して、抜け漏れなくやりきること、また上司からの業務指示を徹底し、関係者に対する質の高い適切な報告・連絡・相談をすることが、理想とする行動規範です。
私たちは何事にも真面目に、
熱心に取り組みます。
自分が決めたことや与えられた役割に対して、日々コツコツと改善を重ねながら打ち込んでいきます。また、常に業務に対する積極的態度を持ち、周囲に対して肯定的影響を与え、目標に対して諦めることなく有言実行する姿勢が、理想とする行動規範です。
私たちは困っている仲間がいたら
積極的に助けます。
自分を思いやり、仲間を思いやる心が
私たちにはあります。
自らがしてほしいと思うことを人にもそのようにします。自他に対して優しい心を持ちます。自分が組織に対して与えている影響は大きいことを理解し、時には力を借りることも大切です。そのうえで、まず相手を認めて受容し、相手の立場に立ち、何を欲しているかを考えて手助けやサポートをすることが、理想とする行動規範です。
私たちはいつも感謝の心を持って
目の前の人に接します。
今の自分がいるのは周り(親、先生、友達、仕事仲間等)のおかげです。今の自分や環境が当たり前なのではなく、何事にも感謝の心を持ち、それを伝えます。そして、どうしたら感謝を返せるかを考え、実践することが、理想とする行動規範です。
私たちは組織の規律を守ることで、
患者様と医院と仲間を守り抜き、
世界最高のチームを創造します。
ルールがあることで迷うことなく、思考、行動ができます。そして規律を守ることで秩序が保たれ働きやすい環境ができます。その結果、組織に対する満足度が上がり、自社に対して自信がつき、患者様に対する関わり方も良くなります。社内で決められたルールは必ず守ることが、理想とする行動規範です。
私たちは自己の職務に対して
プロフェッショナルとしての
自己を確立しています。
職務のプロとして自信を高め、現状に満足することなく更に日々研鑽を積みます。自らの成長だけでなく、仲間や環境が成長できるように、自分が学んだことをシェアすることや、成長をサポートすることが、理想とする行動規範です。
HISTORY
私は兵庫県神戸市で生まれました。父はカメラ屋を営んでおり、母は専業主婦でした。3人兄弟の末っ子として育ち、幼い頃からものを作ることが大好きでした。プラモデルや紙、段ボールを使ってロボットや車を作り、朝から晩まで、時には食事を忘れて没頭していました。
興味の幅は広く、家電製品を分解することにも夢中になっていました。細かい作業に集中することが好きだった一方で、肩こりや頭痛がひどく、嘔吐するほどつらい日もありました。そんな私を見かねて、親戚にいた歯科関係の方が名古屋の噛み合わせ専門医を紹介してくれました。
中学2年生の時、私は神戸から名古屋まで1人で電車に乗り、4時間かけて通院していました。通い始めてからわずか2~3回で、それまでの肩こりや頭痛が嘘のように改善されました。治療といっても、少し歯を削って噛み合わせのバランスを整えるだけでした。この出来事は私にとって衝撃的で、感動と同時に「なぜ?どういうことなんだ?」という疑問も湧きました。
小さい頃から人を喜ばせることが大好きでした。進路を考える時、「人に喜んでもらえる仕事」「感動を与える仕事」をしたいと思い、歯科医師になることを決意しました。しかし、私の通っていた学校は進学校ではなかったため、2浪することになりました。
周囲の友達は、高卒で就職したり、どこか私立大学を受験して合格すればそこに進学するという人が多かったように思います。また、明確な目標を持っている人は少なかったように思います。大学生活は華やかに見え、うらやましく思ったこともありましたが、私の決意は揺らぎませんでした。卒業式の前には自ら坊主にし、歯学部に合格するまで坊主でいると決めていました。
1浪目は、死ぬほど勉強しました。休日はゼロでした。それでも受験には失敗しました。その結果を、父に電話で報告しました。電話口の声で、父はすでに結果を察していたと思います。「ダメやった」と伝えると、父は「よく頑張った!」と優しく言ってくれました。その言葉を聞いて、私は心の底から泣きました。
その姿を見た兄が「車に乗れ」と言い、1時間ほど走って連れて行ってくれたのが六甲山の頂上でした。そこから見える景色は本当に美しく、兄は何も言わなかったのですが、私は「泣いている自分がちっぽけだな」と感じ、「絶対に諦めない」と誓いました。
2年目もひたすら勉強しました。1日4時間睡眠で、休みは一切なし。お風呂でも電車の中でも常に勉強していました。髪は2年間ずっと3mmの丸刈りで、2週間に1度バリカンで整えていました。髪を整える時間も、服を選ぶ時間も無駄に思えたからです。
「自分以上に勉強した人はいない。1日24時間だから、物理的にそれ以上は無理だ」と思えるほど努力しました。そして結果発表の日、、、合格していました。身体中に電気が走ったような感覚で、両親と抱き合って泣きました。
実は、2年間の予備校代を工面するため、父は借金をしていたと後から知りました。大学入学後も、私は奨学金を満額借り、部活とアルバイトを両立させながら生活していました。
そんな学生生活の中で、父はずっと「こんな生活をさせてしまってごめん」と私に謝っていました。カメラの小売業は厳しい時代に入り、神戸で残っているカメラ屋は私の実家を含めて2店舗だけという状況でした。それでも両親は、3人の子ども全員を大学まで進学させ、私に浪人までさせてくれました。
だからこそ、私は絶対に成功して親孝行をしようと心に決めていました。大学卒業後、私は大学OBの先生が経営する歯科医院で研修・勤務をさせていただきました。
当時は臨床経験も浅く、至らない自分に悩む日々も多くありましたが、厳しくも真剣なご指導のおかげで、歯科医師としての基礎と覚悟を徹底的に鍛えていただきました。
振り返れば、その6年間は私にとって大きな転機であり、今の医院づくりの根幹となる「人を大切にする組織とは何か」を深く考えるきっかけにもなりました。
厳しい経験も含め、あの環境で鍛えていただいたことに、今では心から感謝しています。
この経験を活かして自分が開業する時は「もっと良い医院を作ろう」と強く誓いました。
人生は一度きりです。私は「やった後悔」よりも「やらなかった後悔」のほうが後に残ると思っています。私は常に「迷ったら進め!」と自分に言い聞かせてきました。
その考えに従い、退職後はずっと夢だった「世界一周旅行」に、新婚旅行を兼ねて妻とともにバックパッカーとして出かけました。1年8ヶ月の間、辛いことや危険な目に合うこも多かったのですが、どんな困難なことがあっても諦めず前に進む強い意志があれば乗り越えられない壁はないと実感しました。
そして帰国後の2020年に意を決し灘セントラル歯科を開院しました。
これまでのすべての経験が、
私の価値観と歯科医師としての原点を形づくってきました。
これからも患者さま一人ひとりと真摯に向き合い、
心から信頼していただける医院であり続けたいと考えています。